[第2章]世紀の大種牡馬を改めて知る(ノーザンダンサー編) 過去の名馬

・伝説の馬

私の自宅のリビングには、アメリカのキーンランドで購入した1枚の皿が飾ってある。
そこに描かれている1頭の馬。
その馬こそが歴史的名馬にして、世界の血統地図を塗り替えた世紀の大種牡馬・ノーザンダンサーだ。
世界各地を旅し、競馬に関するあらゆるものを、自身への土産として買って帰ってきたが、手元に残っているものはわずかしかない。
これだけが特別。
この世に星の数ほどもいる馬の中でも、ノーザンダンサーだけが特別なのだ。
我々のような仕事をしている人間にとって、ノーザンダンサーは歴史上の人物と大差がない存在と言えるだろう。

誰もがその名を知り、同馬についての豊富な知識を持ち合わせている関係者も少なくないと思う。
しかし、そのほとんどがノーザンダンサーの実態を知らない。
私もそうだ。
多くのノーザンダンサー系種牡馬を自身の目で見てきたが、ノーザンダンサーはアメリカの博物館で見た肖像画の姿でしか知らない。
ノーザンダンサーの生誕は1961年。
当時の日本は競馬不毛の地であり、血統に対する考え方も現在とは異なっていた。
優秀な競走成績を残し、種牡馬としてノーザンダンサーが大活躍していた頃。
彼は日本の競馬界と別の世界に存在する馬と考えられていたのだ。

プルメロ、ライジングフレームにヒンドスタン。
我々は日本の血統しか知らず、スピードよりもスタミナを意識している種牡馬ばかりを導入していた時代だった。
狩猟のために必要な存在としてスタートした馬は、獲物を捕まえる前に息切れしてしまうことを許されない。
欧州競馬を模範とし、スタミナ血統を崇拝した日本競馬のルーツ。
スピード血統が主流の現状しか知らないファンは想像もできないだろうが、その考え方こそが正解という認識を当時の生産界は持っていた。

多くのものを兼ね備えていたノーザンダンサーだが、他の種牡馬との根本的な違いはスピード能力にあったと私は考えている。
現在のスピード競馬への流れを作ったノーザンダンサーに世界中が夢中になり、ノーザンダンサーの直子というだけで、値段も跳ね上がった。
当時は固定相場で円が360円だった時代。
スタミナ血統からの脱却が必要と認識し始めたときには、彼の血を引く馬を連れてくることが無理な状況になっていたのだ。
日本の生産界に名を残すノーザンテーストはノーザンダンサーの直子。
彼が日本に輸入されたことに対する驚きと期待は、そんな当時の状況が強く反映していた。
私にとっても大きな驚きだったのだが、この馬については後で詳しく述べたいと思う。
ちなみに私はノーザンテーストの産駒に対し、そこまでの興味を示さなかったのだが、その理由についても触れるつもりだ。

・血統の魅力を教えてくれる馬

私が競馬の魅力を知ったのは中学生の頃だ。
場所は大阪の阿倍野にあった銭湯。
そこで競馬新聞をコソッと盗み見ながら、その世界の奥深さに心惹かれていった。
当時は日本の血統しか知らなかったが、そのような状況でも血を重ね合うことで生まれる競走馬の神秘さと可能性。
それこそが血統に興味を持った1番の理由だった。
思えば、あの銭湯が私のルーツということになるのかもしれない。

単に素晴らしい種牡馬の仔を買っただけでは結果が出ない。
その掛け合わせによって、同じ種牡馬からでも様々な産駒が生まれてくる。
だからこそ、私は繁殖牝馬の血統を十二分にチェックするようになったわけだが、その重要性を示した馬こそがノーザンダンサーであったように思う。

日本の生産界を牛耳るサンデーサイレンス系の種牡馬は実に多彩。
スプリンターからステイヤー、持久力タイプに瞬発力タイプ、芝だけでなく、ダートをメインにしている後継種牡馬もいる。
しかし、サンデーサイレンスより数十年も前に、同じような多様性を武器にノーザンダンサーは頂点へと登りつめた。
彼には数多くの後継種牡馬がおり、すでにノーザンダンサー系から独立して、自身の系統を生み出すまでに至っているが、その馬たちは一様ではなく、そのほとんどの馬が個性的な特徴を持っている。
そして、それらのフィールドでトップクラスの成績を残している。
これはとてつもなく偉大なことだ。

ニジンスキー、リファールにダンジグ、サドラーズウェルズ。
多くのノーザンダンサー直子が枝葉を広げ、ノーザンダンサーの血を体内に持つ馬は世界中にいる競走馬の八割を占めると聞く。
次回からは細分化されていくノーザンダンサー系について、少し踏み込んで考えてみたい。

(※次回に続く)


【過去の連載馬】
[第1章]種牡馬実績はすべてダート(ゴールドアリュール編)
[第1章]豊富なスピードが武器(ヘニーヒューズ編)
[第1章]正しい認識が必要(ハービンジャー編)

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