[第1章]スペシャルウィークが名馬である理由(スペシャルウィーク編) 過去の管理馬

愛情をかけ過ぎて育てることを“過保護”という。
ほとんどの場合、それはネガティブな意見として扱われ、自主性も育たなければ、心の形成に影響するとまで言われる。

競走馬もそうだ。
馬は自然でいることが一番、と多くの人間が言った。
私が厩務員として働き始めた当時は、特にそんな傾向が強かった。
過保護は馬を駄目にする。
多くの厩務員が自身の担当馬を殴り、蹴る。
そんなシーンを、当たり前のように私は見てきた。

しかし、本当にそうだろうか?
馬は、人間よりもはるかに繊細な心を持ち、敏感な反応を見せる動物。
多くの愛情を注ぎ、時にはやり過ぎと思うほどに手を加えてもいいではないか。
馬は、そうして育てていくものなのだ。

スペシャルウィーク。
彼がそれを教えてくれた。

私が管理した多くの馬の中でも、最高傑作と認めるサラブレッド。
彼は華やかな競走成績以上のものを、私に残してくれた。

すでに語り尽くされた印象もある、彼の真の姿。
それを、今回は紹介させてもらいたい。

・シラオキの血を求めて

マルゼンスキー肌の馬が、私の厩舎には数多くいた。
ニジンスキーの血を引く彼の能力に、私が惹かれていたのが大きな理由。
スペシャルウィークの母キャンペンガールを見初めたのも、マルゼンスキー肌の繁殖牝馬だったからだが、彼女にはそれ以外の可能性を早くから感じていた。

スペシャルウィークから数えて4代前──。
そこに日本競馬史に残る繁殖牝馬シラオキがいる。

ニジンスキーの血を持つだけでも、価値の高いマルゼンスキー肌の繁殖牝馬。
彼女はそれだけでなく、その体内にシラオキの血まで持っていた。
その血統構成が、私を興奮させた。

シラオキの血統は牝馬が走らない。それが定説。
それでも、私はこの血統への興味を捨て切れなかった。
スペシャルウィークの2歳上にあたる、ヘクタープロスペクター産駒の牝馬。
オースミキャンデイと名づけられた彼女を、私は手に入れる。

その競走成績は2勝。
悪くない成績だが、彼女の功績は競走生活ではない。
自身の弟であるスペシャルウィークへと導く役割。
この重要な仕事を、彼女は果たしてくれたのだ。

セレクトセールのような大きなセリで、競走馬を買う現在の状況と違い、当時は牧場で当歳買いをすることが、当たり前の時代だった。

“ゆかりの血統”という言葉がある。
血統=繁殖牝馬を扱う牧場と馬主、調教師の関係性が現在よりも深いものだったことから生まれたフレーズ。
この血統の上を買っている私には、生まれたばかりの子馬を見る“優先権”のようなものがあったのだ。

父は思い入れの強いサンデーサイレンス。
その配合を耳にした時から、自分の中に湧き上がってきた興奮を、私は抑えきれない。
生まれてきたのは牡馬。運命の動き出す音がした。

・スペシャルウィークとの出会い

1995年5月2日。
彼が生まれたのはゴールデンウィークの真っ只中。
簡単に移動できる状況ではない。
ダンスパートナーで自身初のGI制覇に向け、邁進していた時期でもあった。
それでも、私は牧場にこう言う。

「連休明けには、必ず馬を見に行くから」

誰よりも先に見たい。
その強い思いを持って、私は彼の生まれた日高太平洋牧場に向かった。
その第一印象は「細身でスラッとした、サンデーサイレンス産駒らしい馬」。

アメリカで活躍したサンデーサイレンスの主戦場はダート。
懐疑的な目は少なからずあったと思う。
しかし、彼はアメリカの馬に多いマッチョなタイプの馬ではなかった。
それがサンデーサイレンスの活躍を予感した理由。

私の目の前にいる仔馬もまた、サンデーサイレンスによく似た細身の馬体をしていた。
足元の問題もない。
スペシャルウィークの購入を、私は即断した。

・第2章はコチラ

【過去の連載馬】
[第1章]「デジタルとの出会い」(アグネスデジタル編)
[第1章]「ボーラーとの出会い」(メイショウボーラー編)
[第1章]「血を追い求めて」(ダンスパートナー編)

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