過去の名馬から海外の競馬事情までを網羅した、読みごたえ十分のオリジナル・コラム!

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    [第1章]カナダの競馬史に残る馬(ヴァイスリージェント編)

    ・日本における知名度の低さ カナダの競馬殿堂入りを果たしているヴァイスリージェントは、ノーザンダンサー系でも重要な系統のひとつと位置付けされている馬。 しかし、ニジンスキーを筆頭とした他のノーザンダンサー系と比較すると、知名度でやや見劣るのではないか、と私は感じている。 特に日本ではそうではないだろうか? ヴァイスリージェントは1967年の生まれ。 すでに血統表のかなり先まで名を移してしまったことも大きいと思う。 彼にはデピュティミニスターという優秀な後継種牡馬がいるのだが、こちらのほうが父よりも名を知られている存在と言えるかもしれない。 実際、日本ではヴァイスリージェントを持ち出すよりも、デピュティミニスターの名を出すほうが、血統のイメージをしやすくなっており、若い世代になればなるほど、その傾向は強くなっているように思う。 そして、もうひとつ──。 ヴァイスリージェント系の特性はスピードとパワーなのだが、これこそが日本でヴァイスリージェント系の名を聞かない理由ではないか、と私は考えている。 スピードに特化し過ぎたヴァイスリージェントは、彼が活躍していた当時の日本競馬に必要な馬ではなかった。 ゆえに彼の系統が日本で繁栄しきれなかったように感じるのだ。 ・日本におけるニーズ 私がマルゼンスキーに魅了された最大の理由は潜在スピードの高さ。 しかし、私と同じように考えていた人間ばかりではない。 マルゼンスキーの父であるニジンスキーはイギリスのクラシック三冠馬。 欧州信仰の強かった──言い換えれば、スタミナ信仰の強かった当時の生産界は、ニジンスキーを父に持つマルゼンスキーに三冠馬のスタミナを期待していたのではないだろうか? 少なくとも、マルゼンスキーは距離をこなせない単調なスピードタイプではなかった。 それこそが重要なポイントだったように思うのだ。 ニジンスキーとヴァイスリージェントは同世代の馬。 ノーザンダンサー系最大の特徴である豊富なスピードを武器にしていた、という点でも2頭は似通っている。 むしろ、ヴァイスリージェントが伝えるスピードは、ニジンスキーのそれを超えるものだった可能性もあるほどだ。 しかし、それは当時の生産界が求めた類のスピードではなかった。 ヴァイスリージェントのスピードは、マルゼンスキーが見せた「どこまで走っても止まらないような持続するスピード」ではない。 レース序盤からトップギアで走り、いずれはどこかでガス欠してしまうだろう、と感じさせるスピード。 一般的に“淡白”と表現されてしまう類いのもので、別の言葉で表現するのなら、実に「アメリカ的」だった。 これが最もわかりやすい表現と言えるかもしれない。 多くの競馬ファンはご存知だろうが、アメリカの競馬は基本的に最初から猛ダッシュ。 ペースについていけない馬から脱落していくサバイバル戦だ。 潜在スピードの高さのみを純粋に競う形。 しかし、欧州の競馬スタイルを模倣し、芝のクラシックディスタンスが中心の日本ではニーズがなかった。 ヴァイスリージェントの能力がニジンスキー、それ以外のノーザンダンサー系の馬に劣るのではなく、単純に方向性の違いで受け入れられなかっただけなのだ。 (※次回に続く) 【過去の連載馬】[第1章]いまだからこそのエンパイアメーカー(エンパイアメーカー編)[第1章]スピードのみが生き残る(サクラバクシンオー編)[第1章]海外で結果を残した馬(タイキシャトル編)

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    [第5章]カーリアンについて(ニジンスキー編)

    ・カーリアン産駒の思い出 ビッグラブリーという馬名を聞いて、「ああ、あの馬か」と思い出せる人はおそらくいないだろうし、それが当然と私も思う。 私がアイルランドまで行って、お世話になっていたオーナーのビッグさんのために買ってきた馬なのだが、競走成績はダートで1勝したのみで、目立った活躍はできなかった。 だが、それでも良かったのだ。 もちろん、競走馬として活躍してほしいと思っていたが、彼女には競走馬としての役目を全うした後の仕事。 繁殖牝馬としての期待のほうが、はるかに大きかった。 ビッグラブリーの父はカーリアン、母の父はブラッシンググルーム。 この馬を日本に持ち込めば、おそらくは素晴らしい活躍をしてくれるだろう。 彼女を購入した段階から、もっと先のことを私は考えていた。 カーリアンはニジンスキーの産駒で、ブラッシンググルームとの掛け合わせがいいだけでなく、おそらくは日本を席巻するであろうヘイルトゥーリーズン系の相性もいいはず、と私は考えていた。 ビッグさんが手元に持って、そのまま馬主を続けてくれていれば、私にとっても最高であったのだが、何度も言ってきたように競馬は体力のいるものだ。 ビッグさんが手放してしまったのも仕方がない、と私は理解しているし、それをヤナガワ牧場が手に入れていることも「当然のこと」と認識している。 私とともにアイルランドへと馬を見に行ったその人こそが、ヤナガワ牧場の社長だったからだ。 ・ブルードメアに適した馬 カーリアンはイギリス、アイルランドでもリーディングサイアーになったほどの馬。 そのほとんどが高額な彼の産駒を手に入れられる調教師は限られた存在だった。 特に牡馬は難しい。 1996年の日本ダービーを制したフサイチコンコルドはカーリアンの産駒だが、彼を管理していたのは小林稔調教師。 マルゼンスキー産駒のときの話でも触れたが、これくらいの血統の馬が小林稔厩舎には普通にいた。 牝馬ならば…という思いは多くの調教師が持っていたと思う。 藤沢和雄厩舎のシンコウラブリイはその筆頭格であっただろうし、濱田光正厩舎のビワハイジは現役時代の活躍もさることながら、繁殖牝馬として名をさらに高めた。 ビワハイジの代表産駒であるブエナビスタ。 彼女の父は私が管理したスペシャルウィークで、彼にとっても1番の代表産駒はブエナビスタとなった。 サンデーサイレンス系にニジンスキー系。 私の描いていた血統の図式が、ここでも成立していたことになる。 ビッグラブリーに話を戻そう。 カーリアンにブラッシンググルームという血統を大事にしたヤナガワ牧場は、ビッグラブリーにトニービンを配合して生まれたヒガシリンクスに、サンデーサイレンス系のダイワメジャーを付けた。 生まれた馬はコパノリチャード。 トニービンを母系に入れながら、1200mのGIを勝ってしまったことは驚きだが、カーリアンが入っている血統は自在性に富み、距離も万能。 もちろん、ダイワメジャーのスピードが大前提にはあるのだが、それを引き出したのもカーリアンの自在性とブラッシングルームの底力だ。 ニジンスキー系の種牡馬の中でも柔軟性に富むカーリアンは、父としても活躍したが、母系に入れてさらに良さが出ると考えている。 筋肉質過ぎることもなく、スラッとした馬体で短距離、長距離のどちらにも転がる可能性がある。 時に父の良さを出し、時に父の弱点をカバーする。 ブルードメアサイアーに求められる資質を高いレベルで持っていた馬だったのだ。 ・種牡馬の活力とは 最後にニジンスキー産駒の最後の大物として登場したラムタラについて。 すでに種牡馬としてのラムタラについての連載を設けているので、ここでは私の印象だけを伝えておきたい。 私はエプソムの地で、ラムタラがダービーを勝つ瞬間を見た。 しかし、わずか2戦目でダービーを制したラムタラの姿に私は衝撃を感じなかった。 なぜだろう? 説明はつかない。 だが、同じニジンスキーの産駒で、荒々しいまでの迫力があったマルゼンスキーに感じたものが、ラムタラにはなかったのだ。 結果的にラムタラは種牡馬として失敗してしまったわけだが、その理由として種牡馬に必要な“自己主張の強さ”がなかったからではないか、と私は思っている。 彼はニジンスキーの晩年の産駒。 すでに活力が落ちていたのかもしれない。 ニジンスキー(牡) 1967年生まれ 加国産 父Northern Dancer 母Flaming Page 母父Bull Page 主な勝ち鞍 英ダービー(70年) 愛ダービー(70年) 英2000ギニー(70年) キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(70年) 通算成績 13戦11勝 主な産駒 マルゼンスキー カーリアン ダンシングキイ ラムタラ など ※種牡馬成績は2018年10月時点 【過去の連載馬】[第1章]すべてのキーはサンデーサイレンスに(ルーラーシップ編)[第1章]いまだからこそのエンパイアメーカー(エンパイアメーカー編)[第1章]スピードのみが生き残る(サクラバクシンオー編)

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    [第4章]マルゼンスキー肌のエピソード(ニジンスキー編)

    ・母父マルゼンスキーのダービー馬 私はダービーを「二度取り逃がしている」と思っている。 あくまで自分発信の話でしかないのだが、今回の話にも少し関係していることなので、聞き流す程度に聞いてもらえると嬉しい。 競走馬を探すとき、馬体と血統の両方がセットになっていることが最も望ましいのだが、そこまで完璧な馬は簡単に見つからず、仮に見つかったとしても、金額の折り合いがつかない場合が多い。 誰もが認めるような馬は高い。当然のことだ。 馬体が素晴らしい馬、あるいは血統が素晴らしければ、そちらを優先する場合もある。 どちらにしろ、弱点に目を瞑ってでも…と思わせることが重要だ。 1990年の日本ダービーを制したアイネスフウジン。 あの馬は馬体が素晴らしかった。 欲しいなあ、と最初は思ったが、父シーホークがどうしてもピンと来ない。 「また見に来るわ」と牧場に挨拶してそれっきり。 彼が活躍し出したときは、本当に悔しい思いをしていたものだ。 もう1頭の馬がウイニングチケット。 母系の血統に惚れ込んでいて、実際に彼の兄であるマルブツパワフルは私が管理した。 スターロッチに祖を持つ母パワフルレディの父はマルゼンスキー。 私が理想とする「名牝系を背景に持つマルゼンスキー肌の繁殖牝馬」だったのだ。 では、そこまでに期待していた血統を見逃してしまった理由は何だったのか? すでに多くのメディアで話をしてきたことだが、私はトニービン産駒の見極めが得意ではない。 馬体をスラッと見せるという表現は、サンデーサイレンス産駒と共通するように感じるかもしれないが、実際はそうでなかった。 しなやかで、柔らかくて、それでいてスピードもあって…と思わせるサンデーサイレンスの産駒と違い、トニービンのそれは頼りなく見える。 特に当歳時のウイニングチケットは「まるで鹿みたいだ」と感じるほどに貧相で、さすがの私も「この血統であっても無理だろう」と思ってしまったのだ。 ウイニングチケットは元調教師の伊藤雄二さんと仲のいい藤原牧場の馬で、結果的に伊藤さんが管理してダービーを勝った。 伊藤さんはトニービン産駒との相性が良く──いや、トニービン産駒を見る目が確かだったという表現のほうが正しいだろう。 母父マルゼンスキーのウイニングチケットだけでなく、母父ノーザンテーストのエアグルーヴ、母父ニジンスキーのエアダブリンなどでも結果を出しているが、それらの母系がすべてノーザンダンサー系だったことは重要なポイント。 様々な系統とニックスの関係を築いたノーザンダンサー系の素晴らしさは、こんなところでも証明されているのだ。 ・マルゼンスキーの多様性 マルゼンスキーの素晴らしさは、一見して「鹿みたいだ」と思ったトニービン産駒のウイニングチケットでさえも、確かなスピードを伝えているところからもわかる。 ウイニングチケットは2400mのダービーを勝った馬だが、彼の産駒は短い距離で走る馬も少なくなかった。 それは彼の中に眠るマルゼンスキーのスピードだけでなく、マルゼンスキー肌の牝馬のほとんどが持っていた気性の激しさ。 その二つの要素が、ウイニングチケットが活躍したクラシックディスタンスではなく、マイル前後の距離へとシフトさせた、と考えることもできるだろう。 マルゼンスキーの産駒には様々な馬がいた。 ホリスキーの名を挙げれば、多くの方がスタミナ豊富というイメージで答えるだろうし、産駒のサクラトウコウはネーハイシーザーという快速馬を出した。 ダービー馬のサクラチヨノオーはスピード、スタミナのバランスが取れた馬だった。 マルゼンスキーは日本競馬に大きな影響を及ぼし、私も彼の血の恩恵を受けた一人。 マルゼンスキー産駒の繁殖牝馬に興味を抱かなければ、スペシャルウィークという名馬と出会うことはできなかっただろうし、オースミジェットも出てこなかっただろう。 しかし、他にも日本競馬に影響を与えているニジンスキーの後継種牡馬がいる。 その馬の名はカーリアン。 日本で活躍したわけでもなく、日本で種牡馬入りしたわけでもない馬が、どのようにして日本競馬に影響を及ぼせたのか? 次回はそこに触れていきたい。 (※次回に続く) 【過去の連載馬】[第1章]グラスワンダーという馬を振り返る(グラスワンダー編)[第1章]すべてのキーはサンデーサイレンスに(ルーラーシップ編)[第1章]いまだからこそのエンパイアメーカー(エンパイアメーカー編)

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    [第3章]母父マルゼンスキーの名馬(ニジンスキー編)

    ・スペシャルウィークを見初めた理由 私とマルゼンスキーを繋げる1頭の名馬。 この連載を読んでくださっている読者の方なら、すぐに思い浮かぶのではないだろうか。 ダービー馬・スペシャルウィーク。 私は多くの馬を管理し、何頭かの馬でビッグレースも勝たせてもらった。 そのすべての馬に感謝しているが、迷わずに言えることは1つ。 スペシャルウィークこそが、私の管理馬の最高傑作。 今年の4月に他界してしまった彼を、現在でも思い出すことがある。 当歳時に撮った写真を引っ張り出し、その姿に想いを馳せることがある。 スラッとした足長の馬体。 この頃から、すでにしなやかさを感じさせていた。 やっぱりいいなあ、別格だ。 同じことを何度も思う。 サンデーサイレンスに似ているが、母の父であるマルゼンスキーの良さも出ている。 素晴らしいなあ、と感心するのだ。 スペシャルウィークを見初めた理由の1つとして、名牝シラオキへと繋がる由緒正しき母系がある。 スペシャルウィークの母キャンペンガールを管理していたのは、栗東の小林稔厩舎。 良血馬が大好きだった小林さんの厩舎には、彼女のような優れた血統の馬ばかりが在籍しており、ゆえに管理馬の動向に私は注目していた。 マルゼンスキーは素晴らしい馬で、種牡馬としても実績を残しているが、牝馬の活躍馬は出せなかった。 総じて気性が激しかったことが、その理由としてあげられるだろう。 実際、スペシャルウィークの母キャンペンガールは、洗い場でひっくり返ってしまい、競走馬としては使い物にならなくなってしまった。 能力を発揮する前に終わってしまった馬だったのだ。 ・マルゼンスキー肌は宝の山 サンデーサイレンスは気性が激しい。 似たようなタイプだったキャンペンガールとの配合でも大丈夫だろうか? そう考えたことは事実だ。 しかし、その弱点が大きな問題とならなければ…。 彼女の中に眠るマルゼンスキーの能力が、サンデーサイレンスの資質を底上げしてくれるに違いない。 スペシャルウィーク出産の5日後にキャンペンガールは死亡し、幼少期から人間の手がかなり入ることになったことで、サンデーサイレンス産駒にしては珍しい、聞き分けのいい落ち着いた馬へと彼は育っていく。 私が彼に対して抱いていた不安は、このような状況となったことで杞憂に終わってくれたのだが、この考え方こそが、マルゼンスキー肌の繁殖牝馬に対するアプローチのすべてではないだろうか。 マルゼンスキー産駒の繁殖牝馬は、現役時代に目立った実績を残せなかったとしても、持っている能力の高い馬がいる。 ならば、色々な場所へと足を運び、実際に馬を見て、多くの情報を手にすることで、眠っている素材を掘り起こすこともできるはず。 マルゼンスキー肌の繁殖牝馬は、基本的に気性が難しい面があり、配合はもちろん、その後の育成次第では、競走馬として扱いにくい馬も出てくるだろう。 それは大事なポイントとして、頭に入れていた。 しかし、現在の状況を考えてみてほしい。 サンデーサイレンスの系統のほとんどは気性が激しく、ディープインパクトも例外ではないと思う。 ニジンスキーの系統だけでなく、ダンジグにストームキャットも相当に激しい気性の血統だ。 しかし、多くの生産者は臆せずに配合し、それらの馬たちが結果を出し続けているではないか。 気性の激しさは自我の強さの証明でもあり、それがないような馬では後世に血を残せない。 ならば、気性の激しさを認識したうえで、それをコントロールする手腕。 これこそを磨くべきだ、という発想に変わってきている。 多くの大種牡馬に接し、そのほとんどが気性の激しい馬であったことを私は知っている。 私がマルゼンスキーに求めたのも、彼の自己主張の強さだった。 マルゼンスキー肌の馬には、それがあったのだ。 それこそがマルゼンスキー肌の馬を求め、馬産地を飛び回っていた理由。 我々の競走馬に対するアプローチの仕方さえも、彼らは変えてしまったのである。 (※次回に続く) 【過去の連載馬】[第1章]我がライバルたちを振り返る(エルコンドルパサー編)[第1章]グラスワンダーという馬を振り返る(グラスワンダー編)[第1章]すべてのキーはサンデーサイレンスに(ルーラーシップ編)

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    [第2章]スピードの絶対値の違い(ニジンスキー編)

    ・ニジンスキーに対する認識 スピード全盛の時代において、そのカテゴリーにニジンスキー系を入れる識者は少ないだろう。 おそらくは、私もその中の一人になると思う。 ニジンスキーの名を血統表の中に見つければ、それはスタミナの要素を持つ馬。 そんな解釈をするはずだ。 もちろん、その考え方は大筋で間違ってはいない。 しかし、ニジンスキーが競走馬として生きた時代と現在との違いは、明確にしておいたほうがいいだろう。 狩猟のためのパートナーとして、馬を選んだこと。 これこそが人間と馬が関わりを持った原点である。 どれほどのスピードを持っていたとしても、途中でスタミナが尽きてしまうような馬は役に立たない。 だからこそ、欧州ではスタミナ血統が必要とされたのだ。 それは彼らが馬に何を求めていたか、という発想に起因している。 競馬発祥の地であるということだけを理由に欧州競馬を模倣した日本の競馬は、そんな彼らの考えに追随することが正しいと思っていた。 スタミナは絶対条件。 その呪縛に囚われていた時代があった。 そこに登場したのがノーザンダンサーだ。 それまでの競走馬が持ち得なかったスピードを持っていたノーザンダンサーは、そのスピードで世界の血統地図を一変させた。 その息子であり、父よりも馬格で優るニジンスキーは、スピードとスタミナをさらに進化させた存在だった、と私は考えている。 現在の我々がイメージするスピードは、それこそスプリントの距離を一気に駆け抜けるようなものへと変化した。 ニジンスキー系はスプリンターのカテゴリーに入る血統ではなく、そのような意味でスピードというフレーズを使わなくなっていると思うのだが、ニジンスキー系に対して、私が持った最初のイメージ。 それは他を圧するほどのスピード。 そのスピードこそが、私をニジンスキー系に傾倒させた理由だったのだ。 ・目の前で見たマルゼンスキーの凄さ 海外競馬の成績や映像もインターネットで見ることができる現在と違い、ニジンスキーが現役だった頃の海外の競馬は、それこそ別の世界で行われているくらいの距離を感じるものだった。 大げさではなく、1か月後くらいに船便で情報が入ってくるような感じ。 そのわずかな情報で、頭の中に彼のイメージを作っていた。 ニジンスキーは三冠馬で、これからの競馬に即した勝ち方をする馬だ。 しかし、それはあくまで私の頭の中のイメージであって、現実に目にしたものではない。 これまでに列挙してきたニジンスキーのイメージのほとんどは、彼の産駒であるマルゼンスキーに由来するものだ。 ブライアンズタイムを導入した早田光一郎さんについて、前回までの連載で少し話をさせてもらった。 早田さんを突き動かしていたのは、競馬に対する深い情熱。 福島から北海道へと進出し、昔からの勢力に立ち向かいながら、何かしらの変化を生産界に生み出そうとした。 だが、早田さんよりも一昔前に、とんでもない馬を外国から連れてきた人がいた。 その方が橋本善吉さん。 橋本さんが購入した繁殖牝馬シルは、バックパサーを父に持ち、母が14勝をマークしていたクィルという血統馬。 すでにニジンスキーを受胎した状態だった。 日本競馬が不毛な時代に、橋本さんがシル購入に支払った金額は約9000万円とされている。 その情熱がマルゼンスキーという傑出馬を生んだのだ。 しかし、マルゼンスキーはとんでもない馬だった。 他の馬とはスピードがまるで違う。 何もしないで勝ってしまう。 このような馬が世界では当たり前のようにいるのだろうか? これこそが血統の成せるものなのだろうか? そう思わずにはいられない快進撃を続け、8戦8勝のまま現役を引退した。 持ち込み馬だったがゆえに、クラシック競走には出走できなかったが、仮に出走することができていれば、おそらくは楽勝していたと思う。 最も優れた競走馬とは、展開に左右されず、持ち前のスピードで決着を付けることのできる馬だ。 持ったままで前に行けるスピード、勝負どころで上がってくるスピード、最後の直線で活かされるスピード。 使うべき場所は違っても、その本質は同じ。 スピードの絶対値こそが、勝敗を決するものであるのなら、それを圧倒的なパフォーマンスで我々に示した馬。 その馬こそがマルゼンスキーで、彼の走りを見るたびに、血統の重要さを私は思い知ったものだ。 (※次回に続く) 【過去の連載馬】[第1章]潜在能力は超A級(シンボリクリスエス編)[第1章]我がライバルたちを振り返る(エルコンドルパサー編)[第1章]グラスワンダーという馬を振り返る(グラスワンダー編)

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    [第1章]ニジンスキーの影響力とは(ニジンスキー編)

    ・背景に眠る血の深さ 2歳の冬に入厩してきたダンスパートナーは、あまりにも細くて頼りない馬体をしていた。 「テキ、ホンマにこんな馬が走るんか」 調教助手の白坂君が私に言う。 だが、私はこう言って、彼の意見を受けつけなかった。 「これほどの血統の馬、そう簡単には手に入らんぞ」 父はアメリカの名馬サンデーサイレンスで、母ダンシングキイの父は英国三冠馬のニジンスキー。 ヘイルトゥーリーズン系最高峰の種牡馬となる可能性まである前者と、ノーザンダンサー初期の最高傑作である後者との配合に私は胸を躍らせていた。 馬体の薄さ、頼りなさに目を瞑ってでも…。 そんな私の予感、期待がどのような結果を生んだかは、多くの読者の方がご存知の通りだ。 ダンスパートナーはサンデーサイレンスの決め手を武器に活躍した馬ではあるが、母父のニジンスキーが及ぼした影響は小さくない。 のちに彼女は大きく成長し、海外遠征をするほどの精神力まで見せてくれた。 それはニジンスキーという基盤が、彼女の血統の中にあったから、と私は思っている。 ・圧倒される体格の良さ 1990年になるかならないかの頃。 憧れのニジンスキーを実際にこの目で見ることができた。 すでに種牡馬を引退し、表現は悪いかもしれないが、すぐにでも倒れそうなくらいのヨボヨボの老馬。 ニジンスキーは1992年没。本当に死ぬ直前と言えたかもしれない。 しかし、そんな晩年の状況であっても、私を威圧してくるような迫力をニジンスキーは持っていた。 体高が170センチはあったとされているが、本当に背が高かった。 晩年で筋肉は衰えていても、背骨も凄い。 現役時代のストライドは相当に大きかったのだろうな、と容易に想像できるほどだった。 そこにいたニジンスキーは私が抱いていたイメージそのまま。 素晴らしい、やはりノーザンダンサー系の中でも頭一つ抜けている馬だ。 そう思いながら、晩年の彼を見ていたことを覚えている。 ノーザンダンサーが小さい馬であったことは、すでに前回までの連載で述べた。 サドラーズウェルズ、ヌレイエフにダンジグなど、ノーザンダンサー系の後継種牡馬を何頭も見てきたが、どれもニジンスキーほどの体格はしていない。 ニジンスキーは他のノーザンダンサー系とは違う特色を持った馬で、それが私を夢中にさせた。 彼の直仔であり、私がニジンスキーに目覚めるきっかけとなったマルゼンスキー。 彼はニジンスキーに迫る馬格を持っていたが、スケールはニジンスキーのほうが上だろう。 実際にこの目で見て、私はそう感じた。 マルゼンスキーについては、この後に詳しく述べていくつもりだが、日本にいた種牡馬の中では別格の存在と私は考えている。 そのマルゼンスキーのイメージを、単純にパワーアップさせた馬がニジンスキー。 とてつもない馬であったことは、容易に想像できるはずだ。 ・ダンスパートナーに対する不安と期待 私が持っていたニジンスキーのイメージは、自身の産駒であるマルゼンスキーの特徴から来ている。 雄大な馬格を持ち、スピードに優れた馬。 それだけに不安もあったのだ。 素晴らしい血統の持ち主ではあっても、馬体の小さいダンスパートナーはニジンスキー系の特徴を受け継げなかったのではないか、と。 サンデーサイレンス系とノーザンダンサー系の相性の良さ、いわゆるニックスの関係にあることに早い段階から注目していたことは、これまでの連載の中で幾度となく述べてきた。 だが、ノーザンダンサー系であれば、何でもいいというわけではない。 特に相性のいい系統は何なのか? それを常に考え、多くの書物を読んで勉強もした。 豊富なスピードとしなやかな動きを、最大の武器とするサンデーサイレンス。 これを最も活かせる相手は、体が大きく、また豊富なスピードを持っているニジンスキー系ではないか。 しかし、サンデーサイレンスもニジンスキーも燃えるところのある性格の馬。 体が大きければ、それを我慢できる体力があるかもしれないが、小柄な馬の過度なイレ込みは、競走生活に影響を及ぼしてしまうだろう。 小さい馬に出ると嫌だな…。 そんな不安を抱いていたことは否定しない。 だが、競走馬は体のサイズだけでなく、色々な角度から馬を見ることで、印象をいくらでも変えられるものだ。 ダンスパートナーは確かに小さい馬だった。 しかし、サンデーサイレンスの特徴である脚の長さがあった。 そして、それはニジンスキー系の見た目に通じるものでもあった。 現役時代のサンデーサイレンスはもちろん、繁殖セールに出てきた彼女の母ダンシングキイも私は見ている。 小さくても、彼らの特徴が感じられるダンスパートナーは、いずれ血統の良さを出してくるだろう。 私はそこに賭けたのだ。 白坂君の不安はもっともなもので、体が小さいくせに気性だけは無駄に激しい馬など、本来は走るはずもない。 しかし、ダンスパートナーは走った。 彼女の活躍により、私はサンデーサイレンス系とニジンスキー系の配合に、より一層の自信を深めることになったのである。 (※次回に続く) 【過去の連載馬】[第1章]ゼンノロブロイの印象(ゼンノロブロイ編)[第1章]潜在能力は超A級(シンボリクリスエス編)[第1章]我がライバルたちを振り返る(エルコンドルパサー編)

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    [第6章]情熱の結晶(ノーザンダンサー編)

    ・物語の始まりとして すでに知られた話だが、フサイチパンドラは私自身が牧場を回って見初めた馬ではなく、フサイチの冠で知られる関口房朗オーナーが持っていた数頭の馬の中から選ばせてもらう形で管理が決まった馬だ。 その場にいた馬はすべてサンデーサイレンスの産駒で、フサイチパンドラ以外はすべて牡馬。 しかし、私は牝馬のフサイチパンドラを選択した。 単に馬体が良かっただけでなく、その血統──セックスアピールに繋がる彼女の母系に、大いなる可能性を感じたことが1番の理由。 エルグランセニョールを出したセックスアピールの血統を手掛けてみたい。 そんな気持ちに駆られたのだ。 エルグランセニョールもノーザンダンサー系種牡馬の1頭で、ベルメッツやロドリゴデトリアーノといった名馬を輩出した。 エンパイアメーカーを産んだトゥーソードもエルグランセニョールの産駒だが、実は私も彼の産駒を管理したことがある。 その馬の名はエルジェネシス。 結構な競馬ファンの方でも記憶に残っていないレベルだろうが、一応は4勝をマークしてオープン馬になっている馬だ。 母父にはアレッジドがいる血統の持ち主で、この馬は実際に牧場で見て購入を決めてもらった。 今回の連載で初めて明らかにすることだが、エルグランセニョールという馬を私は気に入っていたのだ。 しかし、今回の話の主役はエルグランセニョールでもなければ、エルジェネシスでもない。 主役はエルジェネシスを生産した早田牧場。 2002年に倒産し、すでに生産界からその名を消して15年以上が経過したが、代表を務めた早田光一郎氏の競馬に対する情熱は凄まじいものがあった。 当時のことは鮮明な記憶として現在も残っている。 ・尽きぬ情熱こそが時代を作る 早田牧場の生産馬で最も有名な馬は三冠馬のナリタブライアンだが、その父であるブライアンズタイムと母のパシフィカスを日本に連れてきたのが牧場の代表者である早田さんだ。 ロベルト産駒のブライアンズタイムはサンデーサイレンスと同じヘイルトゥーリーズン系の種牡馬で、パシフィカスはノーザンダンサー直仔の繁殖牝馬。 ナリタブライアンは偶然に生まれたのではなく、ヘイルトゥーリーズン系とノーザンダンサー系との相性の良さを早くから察知されていた早田さんの「時代を読む力」が誕生させた名馬だった。 マルブツの大澤社長に「白井、早田牧場が連れてきたブライアンズタイムという種牡馬はどんなもんなんや?」と聞かれたことがある。 私はすぐに「ノーザンダンサー系との相性がいいはず。社長、株を買っておいたほうがいいかもしれんよ」と。 私はブライアンズタイムよりもスピードと切れがあったサンデーサイレンスのほうが好みで、その2頭の産駒であれば、迷わず後者をチョイスしてきたが、今後の日本競馬を考えたとき──。 飽和状態にあるノーザンテースト系の繁殖牝馬を相手にする種牡馬が絶対に必要なはずで、それはノーザンダンサー系と違う系統でなくてはならない。 アメリカでその役目を担ったのはミスタープロスペクター系だったが、日本ではヘイルトゥーリーズン系。 社台グループも早田牧場も、そして一介の調教師であった私も考えていたことは同じだ。 ノーザンダンサー系の力を最も引き出すニックスの系統を探し求めた人々の情熱のおかげで、日本の生産レベルは格段に向上したのだ。 社台グループも早田牧場もノーザンダンサー直仔の繁殖牝馬を購入し、自身が導入した種牡馬と配合して結果を出した。 飽くなき挑戦を続けた彼らのような方々がいらしたからこそ、現在の日本競馬の繁栄はある。 そして、その背景にノーザンダンサーという偉大なる系統があったことも忘れてはならないだろう。 現在、日本にはノーザンテースト時代よりも多くのサンデーサイレンス系繁殖牝馬がおり、我々はサンデーサイレンス系とニックスの関係にある系統を探し続けている。 30年以上も前に見た風景と同じだ。 あの偉大なるノーザンダンサーに近い状況を生み出すサンデーサイレンスの凄さを、改めて感じているところである。 最後に。 挑戦を続けるためには体力=資金力がいる。 どれほどの情熱があろうとも、体力が続かなければ、その道は志半ばで途絶えてしまう。 しかし、体力が尽きるまで、情熱を燃やし続けてくれた方々の努力を我々は忘れてはならないと思う。 外国馬にまるで歯が立たなかったジャパンカップの創設時は遠い昔のこととなったが、その時代に頑張ってくれた方々がいたからこそ、現在の日本競馬はあるのだ。 ノーザンダンサー(牡) 1961年生まれ 加国産 父Nearctic 母Natalma 母父Native Dancer 主な勝ち鞍 ケンタッキーダービー(64年) プリークネスS(64年) フロリダダービー(64年) 通算成績 18戦14勝 主な産駒 ニジンスキー ヴァイスリージェント リファール ノーザンテースト ダンジグ ヌレイエフ ストームバード サドラーズウェルズ など ※種牡馬成績は2018年10月時点 【過去の連載馬】[第1章]ドバイワールドCを勝った馬(ヴィクトワールピサ編)[第1章]ゼンノロブロイの印象(ゼンノロブロイ編)[第1章]潜在能力は超A級(シンボリクリスエス編)

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    [第5章]ノーザンダンサー系が発展した理由(ノーザンダンサー編)

    ・優秀な後継種牡馬の数々 これから触れる予定のノーザンダンサー系の種牡馬を紹介しておきたい。 まずはノーザンダンサー系の中で、最初の系統を確立したと考えられるニジンスキー系。 ニジンスキーと同時期に登場したヴァイスリージェント系。 豊富なスピードの代名詞でもあるダンジグ系とダンジグ産駒のデインヒル系。 高い潜在スピードを持っていたことでは同じだが、切れもあるダンジグ系と違い、スピードの持続力に秀でていたのはヌレイエフ系。 ディープインパクトの母系にいることでも知られるリファール系はスピードがあるだけでなく、柔軟性にも優れていた。 突出したスピードと、もろ刃の剣になる激しい気性を抱えたストームバード系、その産駒のストームキャット系はディープインパクトのニックスとして、日本にも数多く繁殖が入ってきている系統だ。 そして、現在の欧州競馬を牛耳っているサドラーズウェルズ系の特徴はスタミナ。 日本の芝には合わないとされたサドラーズウェルズ系だが、最近はサドラーズウェルズの名を日本馬の血統表にも見るようになった。 世界が狭くなってきたことの証明とも言えるだろう。 あまりに多彩であり、あまりにも偉大過ぎるラインナップだ。 どこから手を付ければいいのか、と頭を悩ますほどの大種牡馬ばかり。 これこそがノーザンダンサーの偉大なところであり、前回までの連載で取り上げていたノーザンテーストとの大きな違いでもある。 ノーザンダンサーはオールマイティーではあったが、そのすべてが平均点という馬ではなかった。 そのすべてがトップレベルだったのだ。 メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手を思い描いてもらうと、イメージが湧きやすいかもしれない。 投手でもトップレベル、打者でもトップレベル。 走らせれば、足も速い。 ノーザンダンサーもまるで同じ。 それこそがノーザンダンサーの凄さであり、産駒の特徴が多岐に渡るノーザンダンサー系の魅力でもあるのだ。 ・ノーザンダンサー系が繁栄したもう一つの理由 しかし、自身が調教師として管理してきた馬たちを思い返してみたとき、ノーザンダンサーの直仔はもちろん、その種牡馬にも世話になった記憶がない。 その一番は経済的な理由。 ノーザンダンサーの血を持つ種牡馬の産駒は一様に高額で、前述に名を挙げたような馬の産駒を手に入れることは、望んでもできなかった。 だからこそ、私は母系に彼らの血を入れることにこだわったのだ。 ダンスパートナー、スペシャルウィークはニジンスキーの血を持っている馬で、オースミジェットもそうだ。 彼の血を重視した理由については後述させてもらうつもりだが、ニジンスキーこそが私の最も入れ込んだノーザンダンサー系の馬だった。 ノーザンダンサー系の血が血統表の何処かに入ってくると、それだけで底力が違うと言われた時代があった。 それは事実であったと思うし、おそらくは現在も変わっていないだろう。 ただ、ノーザンダンサー系の血が増え過ぎてしまったことで、その特徴は埋没されてしまった。 現在、この世界中で走っている馬のほとんどが、勝負に必要な底力を兼ね備えていると言ってしまっていいのかもしれない。 ノーザンダンサーの血を持つ馬は、現存する競走馬の八割にも達すると聞く。 その状況で個性を生かせ、と言うのは無理な話なのだが、それでも派生していった系統には様々な特色があるのだから、これもまたとてつもないことだろう。 ノーザンダンサーの凄さは優秀な種牡馬を生み出しただけではない、と私は考えている。 言うなれば、ニックスを生み出す能力。 ミスタープロスペクター系の発展は、ノーザンダンサー系と相性が良かったことに尽きるが、ノーザンダンサー系はあらゆる系統との間にニックスを成立させた。 サンデーサイレンス系との間にもニックスが成立している。 ダンシングキイが出ていた繁殖セールの場に私がいたことは、すでに多くのメディアによって知られていることだが、その年のブリーダーズカップで実際に見ていたサンデーサイレンスとの配合を、この時点でイメージしていた。 ノーザンダンサー系はヘイルトゥーリーズン系ともニックスが成立するはず…。 ダンスパートナーでの成功は、ノーザンダンサー系とのニックスを読み切ることができたからこそのものだったのだ。 ヘイルトゥーリーズン系とノーザンダンサー系とのニックスについて、改めて皆さんに伝えたい話がある。 その話を次回はさせてもらいたい。 (※次回に続く) 【過去の連載馬】[第1章]稀有な能力の持ち主(ネオユニヴァース編)[第1章]ドバイワールドCを勝った馬(ヴィクトワールピサ編)[第1章]ゼンノロブロイの印象(ゼンノロブロイ編)

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